青花が草津市の花に制定されたのは昭和56年1月です。平成15年11月には「あおばな会」が結成され、本格的に保存に力が入れられるようになりました。これ以降「あおばな」とひらがなで表現するようになっています。「青花紙」は製品としての固有名詞ですので引き続き漢字を使っています。

 あおばなは、月草の名の通り夜明け前から花が開きかけ、午前11時頃には萎んでしまいます。まさに時間との戦いです。
 花が咲きかけるのは、7月初め頃、畑一面に咲きそろうのが7月中頃です。この時が収穫の最盛期で、8月の中頃まで続きます。小さな花びらを一つ一つ丹念に摘み取る作業は熟練を要しますし、毎日の作業だけに大変な重労働で
 その辛さから「地獄花」と呼ばれるようになりました。その半面現金収入も大きく、あおばな御殿と呼ばれる豪邸を建てた人もあったようで、「小判花」とも呼ばれたようです。

 いよいよ青花紙作りの作業になりますが、これは主婦が担当することが多かったようです。天日干しなので、晴れた、風のない日がベストです。今は高知伊野町でつくられる和紙が材料にっているようです。48枚を一組として台の上に置き、刷毛で丹念に塗っていきます。塗っては干し、塗っては干しを80回〜90回繰り返し、紙の厚みが最初の4倍ほどになった時、ようやく完成です。48枚を二つ合わせて96枚とし、これを一束と云って取引の単位になります。(青花紙一覧の通りです)
 以前は沢山の仲買人が居て、競い合って青花紙を買いに来たようです。当時は着物生産も盛んで、京都、東京、金沢などで友禅の下絵職人にとっては大切なものだったのです。ところが戦後、化学薬品で青花に変わるものが開発され、「化学青花」として販売されました。価格も安く、その上一工程少なくて済むなどから、草津産の青花紙を駆逐していきました。この頃より化学青花に対して、草津産は「本青花」と言われるようになりました。



 京都などの染め材料屋さんに卸された青花紙は1枚単位で販売されます。ビニールなどで完全に密封して空気を遮断、冷蔵庫で保存します。使用する時は角切り塩昆布ほどの大きさにします。鼻を近づけると塩昆布のようなにおいがするのが不思議です。
 角切りのものが2〜3枚もあればきもの一枚の下絵を描き上げることが出来ます。(図案によって差はあります)熟練の下絵職人さんは「本青花」が絶対良いと言います。筆が滑らかに走り、細い線が思う様に描ける、描き違えたからといって簡単に修正ができないので、常に張りつめた緊張感の中で仕事ができる、などと云います。
 それに対し「化学青花」は、少しでもコストダウンをと望む人達に好まれ、若い職人さん達には、簡単に書き直しの出来る便利さなど、アナログ世代と、デジタル世代の差のような感覚で受け止められているようです。1300年余りの歴史を持つ「あおばな」、激しい歴史の流れに埋もらせてしまってはなりません。私たち地域の大事な文化遺産を、守っていこうではありませんか。


 ここでご紹介するのは、なごみの郷で活動している「草木染め同好会」のメンバー西本和子さんが、青花の絞り汁を染料として染めた帯揚げです。現物とほぼ変わらない色に撮影されています。1年ほど前に染めたと云うことで、かなり褪色はしていますが、しっかりと生地に染めついているのを見ると、伝えられる様に1300年前に染料として使われていたことが実証され、時を越えた古代のロマン・・・・・感慨深いものがあります。
ご協力頂いた方々
草津あおばな会 副会長 中村繁男氏
京の伝統産業春秋会会員 伝統工芸士 堀江俊三氏
なごみの郷 草木染め講師 小谷晶子氏