明、8月15日は69回目の「終戦の日」です。世界各国で軍人の死者1700万人、民間人の犠牲者3300万人、合計5000万人もの痛ましい結果を残しました。我が国は軍人230万人、民間人80万人でした(いずれも公表されているもので実際の数字は諸説様々です)。

社会実情データ図禄から転載させて頂きました

8月13日の京都新聞紙面に学区内にお住まいで潜水艦乗員として参戦し、奇跡的に命を失わず終戦を迎えた「小山さん」が紹介されました。

二度と戦争は繰り返さない。平和な世界を作っていきたい。その願いからこのページを作成しました。

この様ななか、今も世界各地で紛争が勃発しており、毎日多くの尊い命が失われています。

小山さんは、太平洋戦争開戦の翌年、昭和17年に志願兵として海軍に入隊、翌18年10月4日に横須賀にあった「海軍工機学校」に入学、昭和19年9月に海軍一等機関兵曹に任命され、潜水艦「呂50号」に乗艦することになりました。

小山さんが搭乗した「呂50号」が舞鶴沖を航行する様子です(小山さんから提供を受けたモノクロ写真をPhotoshopで着色加工したものです)

最初の出撃命令が昭和19年11月にあり、2回目が昭和20年2月、3回目が同年3月と三度、太平洋や日本海で戦われたようです。

搭載されている魚雷が10本なので、それを撃ち尽くすと補給のため帰港し、そして出撃をする、を繰り返していたようです。

乗艦された潜水艦は乗員数が75名の中型潜水艦で、「安全潜行深度」が70米だったとの事ですが、幾度か受けた爆雷攻撃では「安全潜行深度」ぎりぎりで息を潜めひたすら敵艦の去るのを待ったようです。

数回は至近弾を受け、表現することのできない大きな衝撃を受けながらも沈没を免れ、4回目の出撃命令の出る昭和20年8月を迎えました。18艦あった同型潜水艦のうち、唯一残った1艦でした。当時の日本国内には燃料となる重油の備蓄もなく、「沖縄に展開する米艦隊に突っ込み自爆して特攻攻撃をすべし」との命令の下、燃料補給のため大連に向け舞鶴港から出撃したとのことです。

燃料補給が終了したのが8月15日「玉音放送」が流されたその日でした。「もし出撃命令がもう少し早かったり、舞鶴港に重油があったり、終戦が数日遅れていれば、自分は今ここに居ることはなかった。平和が如何に大事なものか、これから先もどんなことがあっても人が人を殺し合う戦争は避けねばいかない」と熱く語られる小山さんの穏やかな目に心なしか光るものがあったように思えました


終戦後、政府の要請を受け舞鶴にあった「舞鶴地方復員局艦船運行部」で復員事務官3級として特別輸送艦「奄美」に乗船することになりました。

任務はサイパン、グアムに残された沖縄出身の邦人を帰還輸送することで、各600名の人たちを無事沖縄まで送り届けたとのことです。

取り残されていた邦人は、日本政府やアメリカ軍に対する不信から、「どこか大変なところに連れて行かれるのではないか」と乗船を拒否する人たちもあり、その人たちを説得するのが大変だったと述懐されていました。

昭和22年1月5日依願免本官で退任するまで復員業務に携り、その後平穏な生活のなかで奥様との出会いもあって、幸せな家庭を築かれました。

今は、90歳を迎えて益々お元気で、自転車で走り回り地域のグランドゴルフ同好会のリーダーを務めるなど、地域活動にも積極的に取り組んでおられます。2世代住宅で2階に子どもさんご家族、1階に小山さんご夫婦という環境で平和で穏やかな毎日を過ごしておられます。

新聞掲載の写真に写っておられる艦長は今井梅一氏と云って、海上自衛隊佐世保地方総監を務められました。小山さんとは戦後も親好があって、「頂いたんだ」と2枚の色紙を大切に保存されていました。

1枚目は「不釣凡鱗」と書かれていて「垂絲千尺 不釣凡鱗」の下四文字を書かれたようです。「千尺もの深い場所に釣り糸を垂れると普段とは違う魚が釣れる」と説明されていますが、「思慮深い人は大成する」「静かに平和を願いたい」などと解釈すればいいのではないでしょうか

あと一枚には「百術不如一清」と書かれていました。「百術は一清に如かず」と読むようですが、「どんな術策を弄するより心を清く持つことが大事なんだ」と理解するのが一般的なようです。もっと簡単に云えば「常に心は清らかでいなさい」でしょうか、幕末の偉人「吉田松陰」が好んで使ったようで、ここにも「清い心」で争いを好まず平和を願う、そのような思いを見るような気がします。

筆者は小山さんの一回り下になりますので、終戦の年、昭和20年は9歳の少年でした。住んでいたのが大阪だったものですから、20年3月13日から14日にかけての「大阪大空襲」を体験しました。幼い心にはあまりにも残酷な、あまりにも大きな恐怖をあじあう事になり、「平和の大切さ」を強く感じるようになりました。幼い目で見た「大阪大空襲」を文章に纏めましたので、こちらもご覧頂き69回目の「終戦の日」を迎えるに当たって、平和の大切さを皆様と一緒に改めて考えてみたいと思います。

大阪大空襲へ


平成26年8月14日(木) 文責 上笠4丁目 別所義一